前回の記事からだいぶ時間が経ってしまいました。
タイトルにも書いたように、再びバレンシア州に置いて、プロスポーツを除く全てのスポーツ施設が1月21日00:00から14日間 閉鎖されることになりました。
1週間前には、一部の地域でロックダウンが始まっていたので、ついに閉鎖されたかという感じです。
育成カテゴリーのリーグ戦自体も先週の段階で、1月末まで、州管轄で行われるすべてのカテゴリーのリーグ戦を中止するという発表がサッカー協会から出ています。
ちなみにその1週間前には、小学生年代までの8人制サッカーのリーグ戦中止が発表されていました。
閉鎖が強制されない限りは、練習を続けようというクラブの方針の下、活動してきましたが、今回ばかりはどうしようもありません。
バレンシア州におけるコロナ感染者数は、1月に入り、急速に増加しており、医療崩壊寸前という状況です。街を歩いていても、ここ最近救急車の音がよく聞こえてきます。
サッカー監督として働く身としては、グラウンドで練習できないということほど、残念なことはありません。
しかし、これ以上医療崩壊が進まないためにも、この決断は避けては通れないものだと思っています。
全ては、健康だからこそ。
仕事をするにしても、勉強するにしても、スポーツするにしても健康でなければ、できないことです。
感染症に関しては、私も苦い記憶があります。
約10数年前、私が大学生の頃、その時期日本で大流行していた麻疹にかかりました。
その当時、(東京で感染者が増え始めていた時期)千葉から東京へ課外活動のためによく電車通勤していて、東京で多くの人と接触していたため、どこから感染したのかわかりませんが、私が通っていた大学で初めての麻疹感染者になりました。
当時、千葉で一人暮らし。ある時、風邪の症状が出始め、3日間ほど自宅療養していましたが、続いていた高熱と激しい咳の苦しさのため、我慢の限界に達し、大学の健康管理室へ連絡することにしました。
そして大学職員の方に、アパートに来ていただき、その方の車で近くの病院へ連れて行っていただきました。車の中でも咳が止まらず、病院についた頃には過呼吸になって、手足に酸素が回らなくなり、意思とは反して勝手に手足が丸く固まっていきました。
病気の知識に疎かった当時の私は、この時、「もう二度と思い通りに手足を動かせなくなってしまうんだな」と思いました。
その後、適切な過呼吸の措置をしていただき、通常の状態に戻ることができました。
そして、様々な検査の結果、麻疹に感染していることがわかり、隔離部屋で入院することになります。
入院してからも40°以上の熱、激しい咳が1週間以上続き、苦しさのあまり何度夜中にナースコールを押したことか、、、。
「もう自分はこのまま死んでしまうのかな」と何度思ったことか、、、。
治りかけてくると今度は、体全身に蕁麻疹が出てきて、痒くて仕方がない。全身のブツブツを見ると気も参る。さらに医者の方が新人の研修医たちにこれが麻疹の症状だよと説明するために、症状を見せなきゃいけなくて嫌だった記憶が蘇ってきます。
もう二度とこんな苦しい思いをしたくないと思ったと同時に、
ウイルス感染症が恐ろしいものであること、
人間として健康が第一であること
を学びました。
きっとコロナウイルスの症状も重症化すると、麻疹と同じように、もしくはそれ以上の苦しさを伴うものになるのではないかと想像することができます。
サッカー監督として、なんとしてもグラウンドで練習したい、子供の教育を止めてはいけない、子供の活力となっているサッカーをする機会を奪ってはいけないと感じている部分も少なからずあります。
しかし、種類は違えどウイルスの感染症を経験したものとしては、グラウンドでサッカーできなくなることよりも、ウイルスに感染することほど辛いことはないと思っています。
スポーツ施設閉鎖というこの状態がいつまで続くかわかりません。2週間で終わるかもしれないし、2ヶ月続いてしまうかもしれない。
しかし、再び思いきりグラウンドでサッカーを楽しめる日がくることを心待ちにし、この状況をポジティブに捉えて、監督として、チームとして、今以上に成長できるように今できることに集中していきたいと思います。
↑閉鎖前最後の練習。